鬼才は終わらない 〜星野源「アイデア」〜
「喪服だ!」
喪服で歌っちゃって踊っちゃってるのだ。そして、赤、黄、桃、青の壁、これは明らかに過去のシングルのイメージカラーである。
ここまではネットにも出回っててそこから結び付けられてるのが、「引退」というワードだ。
でも、私はそうは思わない。
まず大前提として、星野源は間違いない鬼才である。※1
物怖じとせず「恋」だの「SUN」だの「family song」だの、キャッチーに、時に訴えかけるように発信してきた。どれも聞いてみると「そうだねそうだね。実にその通り!」と思わず賛同してしまう。
今作のアイデアでかつてのイメージカラーが出てきたシーンは歌詞の1番と最後だ。
1番の歌詞を見てみよう。
夢を連れて繰り返した
湯気には生活のメロディ
鶏の歌声も
線路 風の話し声も
すべてはモノラルのメロディ
涙零れる音は
咲いた花が弾く雨音
哀しみに 青空を
どこまでも、想像出来る日常が広がっている。だからこその
おはよう 世の中
である。
1番の歌詞は確実に今まで我々と星野源(そして鈴愛も)が生きてきた世界、世の中だ。つまり、今までの世の中→今までの作品。と繋がる。
ここまで見ればただただ、「みんなもアイデアを持って生きよう!」なんて応援歌と、過去を振り返った代表作ですむのだが、星野源はそれでは終わらない。
2番を見てみよう。
セグウェイに乗って移動して、フラッシュがたかれている。交通事故を想起させてるのか?と思いつつまた見てゆく。大事なのは橙に光る電球のシーン。魂、または灯篭、のようではないか。喪服と相まって、死や命を物語っているようだ。ここでこの曲のテーマがうっすら見えてくる。が、まだ星野源は明確に言わない。と、同時に恐怖と不安が見える。紅白の壁が黄色い光に照らされて白黒っぽくなる、喪服のダンサーが出てくる。
最も恐怖心を覚えるのは壁が紅白の状態でカメラワークが変わり斜めになるところだ。
落下のようにみえないだろうか。紅白の幸せから一変落ちてゆき、喪式へと、人生の不安定さのようだ。
そして、本当に伝えたいことを弾き語りで伝えてくる
闇の中から歌が聞こえた
あなたの胸から
刻む鼓動は一つの歌だ
胸に手を置けば
そこで鳴ってる
そう。ここで語っているのは人生だ。そして、どんなに辛くても生きてゆく、立ち上がるということ。誰かの死を乗り越えてでも強くなってゆけというメッセージ。
まぁ、このまま終わると引退曲となってもおかしくない。でもそうじゃない。白い壁が現れる。そして動く!白い壁つまり何色にもなる壁。これからもこの壁は多くの色に染まる!そして歌詞をみると、決定的な非引退宣言がある。
雨の中で君と歌おう
音が止まる日まで
つづく道の先を
ここの「君と」は最も引退を否定した言葉だ。君とということは私=星野源がいるのだ!ここまで、この曲には出てこなかったのに、ここで出てきている。音が止まる。ここでの音は生命。つまり(なにかの)死、まで星野源は我々の傍にいるのだ!
次のカラーは何色か、期待が高まるばかりである。
そもそも、
生きてただ生きていて
踏まれ潰れた花のように
にこやかに 中指を
つづく日々を奏でる人へ
すべて越えて届け
まさに、辛くても声を上げて生きてゆくことを奮い立たせて誓っているようである※2。それをキャッチーなメロディに乗せれるのだからすごい。こんな詞を歌っている人が簡単に引退なんてするわけもないのだ。と、信じている。了
※1 前の記事でも書いたが、前作「ドラえもん」は暦年通してのドラえもんとしてはいただけないが、昨今の感動路線、宝島としては抜群である。劇場出てすぐに思わずCDを買った。
※2 この曲を主題歌としている「半分、青い」も夢が破れ破れながらも生きていく話であるし。
ドラえもん のび太の宝島
のび太の宝島という作品を機に私はこのブログを始めさせてもらう。
では早速本題に入ろう。勿論ガンガンネタバレしていくので、まだ観てない方は注意だ。
まず、宝探し地図を使っているところから「南海大冒険」を起点としており、石頭設定、鼻からスパゲッティなどから脚本にドラえもん愛を感じる。ジャイアンとスネ夫がイカダで島に向かおうとするさまはどこか藤子作品のようであった。(しずかちゃんとセーラの「男の子ってどうしてこうなのかしら」というシーンは大好きなシーンだ!)
起承転結がはっきりとしているので、みやすく、世代問わずみやすいだろうし、長年見てる人へのわざとらしいほどのアイテムたち、また、後半の勢いは怒涛で退屈させない。二時間で色んなものを詰め込み、軸は親子の愛といったしっかりしたもので支えられている。
だが、この作品は歴代の中でもかなり異質だと思う。
あえて、現代の地球というとても限られたフィールドで話が繰り広げられている。だからこそ、島を潜水艦にして浮かんだり沈んだりするというものにするという点がとても面白いしいい発想である。また、現代でひみつ道具を使うのはなかなかなかったことだろう。しかし、いやだからこそ、SF(少し不思議)がたりないのだ。
そのせいで、難点もいくつか見受けられる。
「インターネットで世界中調べれるのに宝島なんてあるわけないじゃない」
と軽々しく言い放っている割には、街中を川から悠々と移動する。
また、地球エネルギーとはなんだったのだろうか。存在以前に、硬いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのか、痛いのか気持ち悪いのか、という感覚のところでも不明確で、とてもハラハラ感がつたわらない、ある意味共感できない。また、フロックのハイスペックさ、その技術があるのにシルバー率いる潜水艦は普通に移動する。なんてところにもハイテクなのか違うのか…という疑問が生まれる。
私が最も違和感を感じたのは、ドラえもんのこのセリフである。
「みんなの家にはキャンプに行くって伝えたから。」
こう暢気に言ってのけるが、過去作では、夏休みの宿題が終わってないとキャンプに行けないとか、
「3日も家を開けたなんて!」
「母ちゃんに叱られる!」
なんて言っていた皆はどこに行ったのだ…
(まぁ、竜の騎士では勉強合宿と銘打ってオッケーもらっていたけど…)
とにかく、やはりSF(少し不思議)が足りないせいで現代のリアリズムとの相性がぐちゃぐちゃなのだ。だから足元が不安定な作品、細部の設定があやふやな作品になっている。
折角現代なのだからもっとひみつ道具を映えさせればいいのに…というぼやきも手ばりの説明が一言もない当てつけとして書いておこう。
だが、キャラクターはどのキャラも最高である。
ずっと生意気で冷めており、すこし大人びているのに対して父の前で本気でぶつかり、懸命で泣きながら訴える様子は酷く感動的だ。
セーラの職場の店主マリアがモテてしまうのも少しの出番でよくよくわかってしまう。(エンディングで年の差婚しちゃうのもいいね!)
家族を繋ぎとめたいためにしっかりしようとするセーラ
姉御肌を具現化したようなビビ(空気砲を切るという、今まででどのキャラクターもやらないようなことをやるカッコよさに拍手)
そんなビビをちゃん付けするがすこしマヌケだが実力派の愛らしいガガ
モブの海賊達もいい味がでていて一人一人のキャラクターに愛着が湧いしてしまう。すくなくともキャラクター力は歴代屈指の勢揃いだ。
また、星野源の曲が興行収入を伸ばしているらしいが、ポップな主題歌は
『ドドドドドドドドド・ド・ドラえもん』
と、とても心に残るフレーズで子供も楽しめる曲だが、これが「ドラえもん」というタイトルだと少し違う気がしてしまう。
『機械だって涙を流すだろう』
は宝島という作品にはピッタリだが、わさドラの色が強すぎる。やはりなにか抜けている。
「ドラえもんのうた」は継承されているが、「ぼくドラえもん」を忘れている。
「それがどうしたぼくドラえもん」
と笑い飛ばしてほしい。ドラえもんと銘打つには抜けているのだ。
ただ、「ここにいないあなたへ」は素晴らしい。歌詞もそうなのだが、タイミングがバッチリだここぞといったときに流れている。思わず心がグラッときてしまう。
作画は愛らしく、街と船をドッキングさせた風景が最高なので、作画陣と声優、またキャスティングしたひとに賞金の宝を持って行ってもらいたいと思う。