ドラえもん のび太の宝島

のび太の宝島という作品を機に私はこのブログを始めさせてもらう。

では早速本題に入ろう。勿論ガンガンネタバレしていくので、まだ観てない方は注意だ。

 

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まず、宝探し地図を使っているところから「南海大冒険」を起点としており、石頭設定、鼻からスパゲッティなどから脚本にドラえもん愛を感じる。ジャイアンスネ夫がイカダで島に向かおうとするさまはどこか藤子作品のようであった。(しずかちゃんとセーラの「男の子ってどうしてこうなのかしら」というシーンは大好きなシーンだ!)

起承転結がはっきりとしているので、みやすく、世代問わずみやすいだろうし、長年見てる人へのわざとらしいほどのアイテムたち、また、後半の勢いは怒涛で退屈させない。二時間で色んなものを詰め込み、軸は親子の愛といったしっかりしたもので支えられている。

だが、この作品は歴代の中でもかなり異質だと思う。

あえて、現代の地球というとても限られたフィールドで話が繰り広げられている。だからこそ、島を潜水艦にして浮かんだり沈んだりするというものにするという点がとても面白いしいい発想である。また、現代でひみつ道具を使うのはなかなかなかったことだろう。しかし、いやだからこそ、SF(少し不思議)がたりないのだ。

 

そのせいで、難点もいくつか見受けられる。

「インターネットで世界中調べれるのに宝島なんてあるわけないじゃない」

と軽々しく言い放っている割には、街中を川から悠々と移動する。

また、地球エネルギーとはなんだったのだろうか。存在以前に、硬いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのか、痛いのか気持ち悪いのか、という感覚のところでも不明確で、とてもハラハラ感がつたわらない、ある意味共感できない。また、フロックのハイスペックさ、その技術があるのにシルバー率いる潜水艦は普通に移動する。なんてところにもハイテクなのか違うのか…という疑問が生まれる。

 

私が最も違和感を感じたのは、ドラえもんのこのセリフである。

「みんなの家にはキャンプに行くって伝えたから。」

こう暢気に言ってのけるが、過去作では、夏休みの宿題が終わってないとキャンプに行けないとか、

「3日も家を開けたなんて!」

「母ちゃんに叱られる!」

なんて言っていた皆はどこに行ったのだ…

(まぁ、竜の騎士では勉強合宿と銘打ってオッケーもらっていたけど…)

とにかく、やはりSF(少し不思議)が足りないせいで現代のリアリズムとの相性がぐちゃぐちゃなのだ。だから足元が不安定な作品、細部の設定があやふやな作品になっている。

折角現代なのだからもっとひみつ道具を映えさせればいいのに…というぼやきも手ばりの説明が一言もない当てつけとして書いておこう。

 

だが、キャラクターはどのキャラも最高である。

ずっと生意気で冷めており、すこし大人びているのに対して父の前で本気でぶつかり、懸命で泣きながら訴える様子は酷く感動的だ。

セーラの職場の店主マリアがモテてしまうのも少しの出番でよくよくわかってしまう。(エンディングで年の差婚しちゃうのもいいね!)

家族を繋ぎとめたいためにしっかりしようとするセーラ

姉御肌を具現化したようなビビ(空気砲を切るという、今まででどのキャラクターもやらないようなことをやるカッコよさに拍手)

そんなビビをちゃん付けするがすこしマヌケだが実力派の愛らしいガガ

モブの海賊達もいい味がでていて一人一人のキャラクターに愛着が湧いしてしまう。すくなくともキャラクター力は歴代屈指の勢揃いだ。

 

また、星野源の曲が興行収入を伸ばしているらしいが、ポップな主題歌は

『ドドドドドドドドド・ド・ドラえもん

と、とても心に残るフレーズで子供も楽しめる曲だが、これが「ドラえもん」というタイトルだと少し違う気がしてしまう。

『機械だって涙を流すだろう』

は宝島という作品にはピッタリだが、わさドラの色が強すぎる。やはりなにか抜けている。

ドラえもんのうた」は継承されているが、「ぼくドラえもん」を忘れている。

「それがどうしたぼくドラえもん

と笑い飛ばしてほしい。ドラえもんと銘打つには抜けているのだ。

ただ、「ここにいないあなたへ」は素晴らしい。歌詞もそうなのだが、タイミングがバッチリだここぞといったときに流れている。思わず心がグラッときてしまう。

 

作画は愛らしく、街と船をドッキングさせた風景が最高なので、作画陣と声優、またキャスティングしたひとに賞金の宝を持って行ってもらいたいと思う。